こんばんは伴です。
独立リーグではピッチャーとしてプレーしてきた僕ですが、高校の3年生∔大学4年間で合計5年は外野手でした。
何故独立リーグでピッチャーとしてプレーしようと思ったのか?
を解説していきます。
- 肩が強かった
- 大学時代は外野手でもイマイチ
- 外野手として独立リーグからNPBは厳しいのでは
- ピッチャーならまだ素材でも獲得してくれるかもしれない
- 肩が強かった
元々投げるのは得意で、遠投は120mぐらい投げられていました。
短距離も速かったので、高校や大学の指導者には「走れるし投げれるし打てるからセンターやった方が良い」という意見で一致していたため、大学では外野手としてプレーすることに決めました。
- 大学時代は外野手でもイマイチ
そのような背景があっていざ大学で外野手としてプレーしたものの、大した成績も残せませんでした。
2年生春のリーグ戦から、「全体の半分ぐらいの試合でスタメンや途中出場でゲームにでる」という状態が4年秋まで続いていました。
なぜか毎回リーグ戦の途中で外野手にケガ人が出るので、控えの1番手のような立ち位置だった僕はちょこちょこ試合に出ていたわけです。
ちなみに大学の通算打率は2割なかったんじゃないかと。打てなかったですね。
- 外野手として独立リーグからNPBは厳しいのでは
仮に独立リーグを外野手として入団できたとしても、ドラフト会議で独立リーグから指名するか?と疑問に思ったのも事実です。
打てる野手は社会人野球に進むことが多く、レベルも高い社会人を優先して選手を採ると考えた場合、相当目立たなければドラフトは難しいと感じていました。
- ピッチャーならまだ素材でも獲得してくれるかもしれない
仮にピッチャーで23歳が独立リーグにいたとしても、転向1年目であることと何かわかりやすい武器があれば育成ドラフトなら可能性があるのではないか、という仮説です。
この場合のわかりやすい武器は僕の場合「球速」です。2012年の時点では「150㎞」という数字があればそれだけで一つのセールポイントとして成立した時代でした。それを記録すれば、多少他が未熟でもドラフトにかかる可能性が見えるだろうと。
実際、1年目に選手登録されてから1か月ほどで149㎞を記録。このあたりからスカウトがちょこちょこと見に来るという話を聞いていました。
実力の問題でドラフトにかからなかったものの、仮説の正しさはある程度証明されたシーズンでした。
今振り返っても、成績は1年目が1番悪いです。が、成績ではないところで判断されているという点も十分に頭に入れておくべきことだと思います。
ちなみに最近は明らかにピッチャーのレベルが上がっており、右投げでは150投げるのが最低条件のようになりつつあると感じています。今は「150㎞」だけでは難しいかもしれませんね。
野球が好きで続けたかったというのも一つの事実ですが、現実問題として「どうしたらドラフトで指名される可能性を高められるか」を自分なりに真剣に考えた結果がピッチャーへの転向でした。
野球に限らず、世の中は需要と供給がかみ合わなければいけません。
自分が希望している会社はどんな人材を求めているか」を考えて相手に「欲しい!」と思わせる必要があります。
普段から「この人は何を求めているんだろう」と考えるクセをつけておくと、存在価値が高い人になれるかもしれませんね。
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