こんばんは伴です。
学生は夏休み中ですね。
とはいえ2学期が始まるまで残りも少し。
人によっては「学校に行きたくない」と思うでしょう。
僕個人の意見で言えば、「無理して学校に行く必要はない」というのが基本のスタンスです。
学校に行くからこそ起きるトラブル、いじめられているとか人間関係が上手くいかないとかいろいろあります。
それが本当に嫌だから2学期はじめに自殺という選択をとる人が一定数いるのは事実です。
僕は小中学校で野球部に行くためだけに学校に通っていたようなものなので、学校自体を「楽しい」と思ったことはほぼありません。
ですので「学校に行きたくない」「できることならずっと家にいたい」という気持ちは非常によくわかります。
今の僕が考える学校に通う意味を述べていきます。
- いわゆる「集団行動」を経験する
- 自分と他人の「普通」の基準が違う事を認識する
- 最低限必要な各分野の基礎(9教科)を満遍なく学ぶ
- いわゆる「集団行動」を経験する
決まった時間に学校へ行って、決まった時間に決められた授業を受けますね。
全て先生のいう事を聞かなければ「授業態度の悪い生徒」扱いされることもあるでしょう。
基本的に学校は「決まられたことをその通りにやれるかどうか」を問われる場所です。
- 自分と他人の「普通」の基準が違う事を認識する
同じ授業、説明を聞いているはずなのに、テストの点数は異なります。体育や音楽、美術などの身体を動かす必要がある教科はそれが顕著にでます。
サッカーのリフティングが100回できるけど絵は苦手の子がいれば、勉強全般はものすごく得意だけど歌は嫌いの子もいます。
これはたくさんの人と会わなければ感じられないことです。
- 最低限必要な各分野の基礎(9教科)を満遍なく学ぶ
国で定められた各教科の勉強を、各学校の先生が自動的にスケジュールを組み立ててくれて、それを聞いているだけで良い状態になっています。
この仕組みは素晴らしいものですが、誤解を恐れず言えば「勉強した気になっている」状態の学生、生徒が多数でしょう。
これって今の時代で学校じゃなければいけない理由は?
以上のように学校に通う意味を記してみましたが、今は学校に行くことのメリットがかなり少なくなってきているような気がします。
以前は通信手段が発達していなかったため、子どもが学校に出向いて勉強するための場所に集まる必要がありました。
今は皆さんご存知のとおりこれだけネットワークが発達しているため、場所を選ばずに情報収集できます。
あとは多くの人に会うことで多様な価値観を知る、という部分もネットワークをうまく使えればいくらでも可能です。
例えば、このブログを読んだ北海道や沖縄に住んでいる見ず知らずの人と会うことも可能です。
ただ、最後の各教科の基礎を学ぶという点は重要ではないかと思っています。
人によってどの分野に興味が沸くかはわかりません。
多くの分野の基礎知識に触れることで「この勉強面白い!」と思えるものが見つかる可能性があります。
自身が持っている感性に触れる何かを探るにはいいきっかけではないかと思います。
先入観で「つまらなさそう」と思っていることが実際に触れてみることで「やっぱ面白いかも」となるかもしれません。
これが「全く強制されない勉強」だと、一切触れないまま終わってしまうこともあるのでそれは少々もったいないかと。
なんでも経験してみることが大事とよく言いますが、様々の分野を学ぶきっかけをつくるという意味では学校は重要な役割をはたしているのではないかと思います。
スポンサーリンク